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効率化の精神的背景を考察してみる

このサイトのサブタイトルに「効率化」と入れてるけど、世の中には効率化に熱心な人間と無頓着な人間がいる。
もちろん私は効率化に熱心なほう。

物事の手順を少しでも減らせないか、こうすればラクなのに、…いつもそんな事を考えてる。
考え過ぎて疲れる事もあるけど、考えてるのが楽しくて仕方がない。

常にそんな状態だから効率化に無頓着な人に対して「同じ事を何度もやって面倒じゃないの?」「こうすればずっとラクなのに」…こんな疑問を抱きながらも口出しはお節介で失礼だからと自重してきた。

単に無頓着なら「そういう性分なんだね」で済む話かも知れないけど、最近気付いたのは「ラクが出来る(ラクをする)」=「悪」と感じる・考える人がいるという事。

それぞれ私と異なった感性だけど、彼ら・彼女らにしてみれば、こちらこそ異なった感性という事になるんだろうね。

「ラク」=「悪」、これは「努力」=「善」の裏返しに通じるものがある。
もっと言えば「苦労」=「善」で、世代を遡る程、この感じ方や考え方が濃厚になっていく気がする。
「苦労」=「善」になっているのは様々な歴史的背景があっての事だろう。それはわかる。

今みたいに機械もITも無かったから、なにごとも手作業・人力・人海戦術で積み上げて行くしか無かったという理由もあるんだろうね。
だけどそろそろ、そんな道徳を書き換えていいんじゃないかなって。

アメリカがめざましく発展した背景には効率化を厭わない精神があったからという説がある。
いちいち昔のやり方にこだわっていたら開拓なんて出来なかったに違いない。
逆に言えば過酷な開拓だったからこそ、効率化する事は効率化するって精神が育ったんだろうね。

効率化なんて言うと、いかにも機械的で冷たい感じに聞こえるけど、その奥にはそれを許容する人間の精神の営みがあるって考えると面白いよね。

 

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