現在の総記事数: 277件!

デジタルデバイド(=情報格差)はなぜ起こる? そして真の問題とは!?

今回はデジタルデバイド=情報格差を考えますが、なぜこんなことが生じるのか疑問です。この件について私なりの解決策が出ているわけではないので、あくまで「考えてみる」ことにします。

スポンサーリンク

ネット黎明期から問題視されていた!

「デジタル・デバイド」という言葉が公式に初めて使用されたのは1996年にテネシー州ノックスビルで行われた演説で当時のアメリカ合衆国副大統領であるアル・ゴアが発言したものであるといわれている。(中略)デジタル・デバイドが生じる主な要因として、

  1. 国家間(先進国と途上国間)、もしくは地域間(都市部と地方間)における情報技術力・普及率の格差
  2. 学歴、所得など待遇面で生じる貧富の格差によって情報端末・機器を入手ないし操作する機会の格差
  3. 加齢や障害の有無など個人間の格差

がある。

情報格差/ウィキペディア

ネット黎明期のころからこんなことが言われていたんですね。しかし今回は国家間の情報格差ではなく日本国内について考えてみます。

情報機器が世間に普及し切ったのに…

国内での問題、それはこれだけPCとスマホが普及しきったのに情報格差があることです。

しかし何故、そんなことになるのでしょうか?
それはスマホの使用実態を調査した記事にヒントがありそうです。

1日の平均使用時間では、小中学生は2時間未満、男子高校生は4.1時間。女子高校生は平均時間が7時間で、「15時間以上」が9.7%と高く、使用時間帯では「0時~3時」が24.3%に及んでいる。使用頻度の高いアプリは「LINE」61.8%、「ゲーム」41.4%、「動画」39.2%。

女子高校生はケータイ、スマホを平均7時間使用–利用実態調査(デジタルアーツ)/Scan Net Security

LINEやゲームばかりに興じていれば、自ずと情報が遮断されます。

スマホネイティブ世代の衝撃でもお話ししましたが、今の10代はスマホに依存して、PCを使わないまま成人する現象が起こっています。スマホは自在に使う彼ら・彼女らですが、皮肉にもPCが全く使えないという「退化」を果たしました。

これと同じ理屈でLINEやゲームのなかに閉じこもることで、社会的に有益な情報から遮断される現象が起こったのではないでしょうか?

逆に今の30~50代はネットサーフィンで鍛えた実績があります。適度にPCスキルもついたし玉石混交のなかから有益な情報を選択するスキルもついたはずです。

ニュースさえ見ていれば安心!?

さて、(おぼろ)げながらスマホの使い方に問題があることが見えてきました。
「でもテレビではバラエティよりニュースを見る時間が多いから大丈夫」
…そう考えている人がいるとしたら、それは大きな間違いかも知れません。

天気が最重要?w ニュース番組の構成とニュースの重要度とは?

テレビニュースで嘘を言うことは少ないですが、確実にテレビ局のフィルターが掛かっています。なのでテレビニュース以外の情報を積極的に取り入れる必要があります。新聞・雑誌・本、そしてネット。

あるいは自分と立場が違う人と話すのも「角度が違う話」が聞ける場合があるので有益です。

何でも即検索は悪か!?

今の若い人(10代後半から20代前半)は何でもすぐ検索します。私は彼らよりずっと年上ですが、更に年上の人に言わせれば「何でもすぐに検索するよね」ということです。

「検索せずに自分で考えろ」と言いたいのでしょうが、しかし物ごとを知らないと考えることすら出来ません。

そもそも考える行為はAとBのどちらが良いか、AとBを足すとどうなるかって話です。AもBも全く知らない事柄では考えること自体が不可能です。なので検索は悪いどころか積極的に検索すべきなのです。

結局、人間の精神性に根ざしている問題

24時間は平等です。仕事の拘束時間や家族構成によって変わりますが、それでも空いた時間をどう使うかは個人の考えひとつです。

電車に乗っているときスマホゲームに興じているか、ネットで情報収集しているかで脳にインプットされる情報の質と量が違ってきます。

スマホを使うかPCを使うかでも情報収集力が違ってきます。例のスマホネイティブは違う感覚かも知れませんが、私の感覚ではスマホの画面は小さすぎます。2画面同時に開けないので情報収集力が劣ると思います。私はスマホとPCを持っていますが、ガンガン情報収集するときはPCを使いますからね。

また、ネットで何でも解決することが悪だと考える世代は本を読むことが「尊いこと」だと考える傾向があります。なので知性自体は若い世代よりあるのかも知れません。しかし膨大な情報にアクセスし、その中から取捨選択することを放棄しているのであれば、これほどもったいないことはありません。

カエサルはかく語りき「人間は自分の見たいものしか見ない」

デジタルデバイドの厄介な、真の問題

経済格差や教育格差は意識しやすいので、格差の「下」にいる人でも自分が置かれている状況を理解できます。そしてそのことを社会に訴えるもよし、周りに助けを求めるのもよし、努力して這い上がるもよし、です。

しかしデジタルデバイトは見えにくく意識しにくい問題なので、格差の「下」にいる人は自分が置かれている状況を理解できません。

結果、知らず知らずのうちに損することになります。自分が利用できる社会制度を知らない・知ることができないので苦境に陥っていきます。

「そんなのネットで検索すればいいじゃん」ですが、それが出来ない・もしくは思い付かないからこそ問題なのです。ある程度ネットが使える人からすれば当たり前のことでも、当たり前ではない人がいるのです。

また、デジタルデバイドの問題自体が経済格差や教育格差と比べて問題視されることが少ないと思います。

この見えにくい問題はこうやって話題にしていくより他、無いと思います。

ひでぞうのまとめ

今の時代、ネットで検索すればどんな情報でも出てきます。完全な情報ではないとしても、それを手がかりにして本を読んだり人に聞いて情報を補完できます。

そしてそれに慣れ切った人からすれば、自分で情報収集をしない人は「自己責任」になります。

確かにそういう側面もあります。しかしそのもっと手前で(つまづ)く人がいるとすれば、それは社会で考える問題です。

今後、ますますITが重要になるに違いありません。それとともにこの問題も深刻になるでしょう。

冒頭でもお話しした通り最適な解決策は見つかりませんが、少しでもこの記事がデジタルデバイドについて考えるきっかけになればと思います。

 

 

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

フォローする!


スポンサーリンク