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日本にはびこる「空気読め文化」についての考察 その1
「空気読め」…立ち回りが上手い人でも一度はこう言われた事があるんじゃないか?
もはや「空気読め」は日本文化になっている。
いや、日本文化の根幹と言うべきだろう。
日本文化というと高尚に聞こえるけれど、「空気読め文化」は身近に、そこかしこに存在する。バラエティ番組はもちろん小学生の集団まで「空気読め文化」があると見て間違いない。
また、企業のように合理性を追求する集団でも「空気読め」があるから恐ろしい。会議でひとつ発言するだけでも気を使う。そもそも「空気読んだ」結果、発言しない。それが賢い生き方と言わんばかりに 。
第二次大戦時の軍事会議でも「空気読め」があった。
そのお陰で合理的判断が出来ず、誰もがおかしいと思いながら無謀な戦いへと突き進んだ。当然、合理的判断で突き進んだわけではないから負けに負け、結果たいへんな実害となった。
時に個人の個性を抑圧し、時に合理的判断を歪める…、そんな「空気読め文化」。…とここまで負の側面ばかり書き連ねてきたけど、少しは良い面もある。「空気読め文化」のお陰で大きな争いが起こりにくかったり、世間の平穏が保たれたり。しかしそれでも「空気読め文化」の問題は大きい。
上記のメリットである「大きな争いが起こりにくい」は「不満があっても言えないから怒りが鬱積していく」になるし、「世間の平穏が保たれる」は「個性が少し強かったり、人と少し変っているだけで世間から爪弾きにされる」になる。
そして最大の問題は「合理的判断」を「空気読め」が上回る事。これに尽きる。戦争という国家の一大事でさえ「空気読め」が「議題には挙がらない重要事項」になる。
会社の会議?そんなものは推して知るべし。空気に支配されて当然である。
では何故「空気読め」なのか?
長くなったので、次で空気とは何かをもっと詳細に検証したいと思う。