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日本にはびこる「空気読め文化」についての考察 その2

前回で検証した、合理的判断さえ上回る空気読め文化について。

人は何故「空気読め」と叫んだり、自ら空気を読もうとするのか?
ちょっと考えてみて、3つほど浮かんだ事を書いてみる。

1、 全体の雰囲気を守りたい
2、 物事を効率的に進めたい
3、 恥をかきたくない

…もっとたくさん理由がありそうだけど、まず1から。

そもそも何故、全体の雰囲気を守らないとダメなのか?
誰かに命令されたわけではないのに常に何かを気にして、時には何かに怯えて「タブー」を回避する事に全力を注ぐのは何故なのか?そもそも何がタブーなのか?
考えてみたけど曖昧模糊として上手く言語化できなかった。謎。

2、これは言う側のエゴイズム、これに尽きると思う。
ようやくまとまりかけた所で誰かが違う事を言い出したときに非常に都合が良い言葉、それが「空気読め」である。
正体(言う側の動機)がわかってしまえば、1の曖昧で呪術的な感じと違い、非常に近代的で言う側に合理性すらある。

3、例えばの話で考えたい。
ある事柄を「恥」と感じ、常日頃から誰かに指摘されやしないかとビクビク過ごしているAさん。
そんなある日、悪意なきノーテンキなBさんが大声で、Aさんが気にしている事を言った。BさんはAさんに対して言ったわけではないけど、常に過敏なAさんは咄嗟に「空気読め」と叫んでしまった…!
この場合、2のように「誰かを黙らせてやろう」という計算やずるさは無い。
恥という「感情」に直結してるから反射的に「空気読め」と口を突いたんじゃないか?

理由はともあれ、1~3全てが非常に厄介。
「空気読め」は魔法の言葉で、どんな状況でも多くの人を黙らせる力を持つ。「そんなこと全く気にならないよ」という幸せな人は例外だから放置。

8割、もしかしたら9割以上の人が「空気読め」と叱責される事を恐れているんじゃないか?なんせ予期せぬとこから弓矢が飛んでくるのだ。「ついうっかり」は命取り。そう、Bさんのように。

だから「日本文化の中」にいる限り、意識・無意識の両方で「空気」を恐れなければならない。
活動や言動に制限をかけなければならなない。
常に自己と他者を監視しなければならない。
しかしそれは社会的・文化的・精神的に大きな問題ではないか。

次回は世代間・国際間での空気読め文化に関して書いてみます。

 

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