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「法」と「時間」が社会を制御!?ひでぞう流・近代化論 その4
近代社会は「法」と「時間」で制御されているぞ!ってことを今回は厳しく問題提起しながらお話ししようと思います!
さて、それはどういうことでしょうか?
もくじ
時間は絶対!…本当にそう!?
以前テレビで見た話です。ある大物芸能人が主催する飲み会がありました。そこに10人近い新人芸能人(以下、新人)が呼ばれました。ある新人が集合時間の5分前に会場に着いたところ、他の新人はもちろん大物芸能人も待っていました。大物芸能人は「遅く来た」その新人をたしなめたのです「新人はもっと早く着くべきだよ」と。
…こういう話って枚挙にいとまがないですよね。というか「遅れて来た」ってのが変です。その新人は「集合時間の5分前」に来てるのですから。そもそも遅れていない。むしろ早く着いています。じゃあ何に対して遅れたのか? それは「大物芸能人に対して」です。だから「時間は絶対か」と問われれば「絶対じゃない」ことになります。心底嫌ですね、こういうの。
じゃあ何分前に着けばいいんだよw
…って話しになりますよね。
待ち合わせが19:00だとしたら、私なら5~10分前に着くようにしますが、これくらいが妥当と思います。もっと早く着くこともありますが、それは「あくまで19:00に間に合わせるために」のことです。初めて行くところなのでスマホがあっても道に迷いそうとか、ラッシュで電車の遅れが見込まれるとか。そういう場合は早めに着いてヒマつぶし誰得サイトを見てれば良いのです。
さて、冗談は置いといて重要なことなのでもう一度言います「あくまで19:00に間に合わせるために早く来る」のです。でもそれじゃダメみたい!
するとどうなるか? 他の人とヒソヒソ話をして「じゃあ18:30頃に行こうか」となるわけです。「みんなで」「偉い人より早く着くように」
あー、アホらし!
「オレが法律だ!」
…いわゆる「偉い人」ってこういう精神状態なんでしょうね。そもそも何が偉いのかわかりませんが「何かが」偉いw だから偉い人の逆鱗に触れてはいけません。
なのでさっきのヒソヒソ話のように「空気を読む」ことになります。そこには「法」も「時間」もありません。その両方が「偉い人」に取って代わられているのですから。非・近代的な社会とはこのことです。
それに比べてアメリカでは…
ここまでの話は日本での話です。
アメリカではこんな話があります。超有名人のA氏が「A記念館」を作りました。生きてるうちに自分の記念館ができるくらいの功績です、名実ともに「偉い人」です。
関係者がこの記念館に入場するとき「パス」が必要ですが、あるときA氏がパスを忘れてしまった。入口の警備員にパスの提示を求められると「今日は忘れてきたんだ、HAHAHA!」と笑ったかは知りませんが、とにかく「オレの顔見ればわかるだろ!」と入場しようとしたところ、警備員がそれを止めたのです!「WHY!?」と言ったかどうかも知りませんが「オレだよオレ、オレだって!」と言っても詐欺かと思って警備員は聞き入れず「パスの提示を」と。
押し問答の末、結局A氏は入れなかった(と記憶にあるけどあいまい)わけですが、このときアメリカ社会では警備員が賞賛されたと聞いています。また、のちに館長のA氏自身もその職務遂行能力を讃えたと聞いています。
この話、日本だと館長のA氏(偉い人)も「けしからん!」と言うだろうし、ニュースで知った多くの日本人も「けしからん!」あるいは「空気読めよ~w」になるだろうと思われます。
みなさんどっちが正しいと思います?
「近代の遂行」vs「一個人の都合」
私は警備員が正しいと思います。この警備員は「近代を遂行した」のです。与えられた役割に徹した。「一個人の都合」に合わせなかった。だから正しいのです。
だけど日本の社会でこのような行動をとると当事者の館長A氏はもちろん、部外者からも激しいバッシングの嵐となります。どちらかと言うと部外者からのバッシングの方が大きい気がします。「空気読め!」…これ大好きですからね。
そして「法や時間より人」となると、さまざまな不都合・不具合・不条理・理不尽が発生します。
- ものごとの基準があやふやになる
- 「偉い人」の気分によってものごとが左右される
- 「偉い人A」「偉い人B」「偉い人C」によって、それぞれルールが変わってくる
- 「法を守ろう」「時間を守ろう」という意識が薄れていく→「なあなあ」になる
パッと思い付くだけでもこれだけの不都合・不具合・不条理・理不尽が発生します。
こういうのを「法治主義」に対して「人治主義」と言うのです。飲み会や会社レベルでもイヤですが国レベルで人治主義になると…、
壮大なこの世の地獄
となります。
旧ソ連がその見本です。さまざまな圧政と思いつきによる政治で多くの人が恐怖と辛酸を舐め尽くしたのです。
もっとも飲み会レベルでも充分イヤです。幸い、ほぼこういう目に遭いませんがたまにありますからね。
あいまいさと恣意性の排除を目指して…
近代社会は、
- あいまいさの排除
- 恣意性(しいせい)の排除
…でできています。
あいまいさってのは人間のあやふやな感覚のことです。たとえば料理ひとつとっても今と昔は大違いです。
中世ヨーロッパでは子守唄を歌う間だけ煮込むとか料理のレシピ本?に書いてあったようです。そんな時代があったのです。実に牧歌的ですが時計が無かったので、それしか方法が無かったともいえます。
当然、時計が普及するとそんな指示はなくなりました。
だけどそのおかげで分単位の時間に追われたり公私ともに遅刻厳禁の生活を強いられたりでキツイ一面もあります。
しかし時間は「ただそこにあるだけ」で、誰かにだけ厳しくて誰かには優しいわけではない。
全人類に対して平等
…ですからね。
逆に言うと、そういう絶対的なものごとに対して「一個人(=偉い人)の都合」が勝ってしまうことに大きな問題があるのです。
また恣意性の排除も大切。
恣意性ってのは、人間のうつろいやすい気分ですからね。「偉い人」の気分が良いときは多少の遅刻でも許してくれるけど、荒れてると5分前に来ても怒られます。
だからそんな恣意性は排除しましょう、ルール(=法)に基づいている限り、あなたの身体・地位・財産は安全・安心ですよって仕組みを近代社会は打ち立てたのです。これを人類の叡智と言わずして何をそう言うかって話です。ソ連の例でもそうですが「偉い人」の横暴ほど恐ろしいものはありません。
「近代」とは既得権益を否定し、みんなを幸せにする仕組みのこと!
そもそも「偉い人」って何だよwって話です。よく分かりません。もちろん分かりたくもありません。
そしてこれは「既得権益」だと思います。いったん「偉い人」になった暁には、よっぽどやらかさない限り偉い人のまま。
「偉い人」が人格者なら良いのですが、多くは違います。
そう、あなたの上司のように
だから偉い人に対して暗黙の服従を強いられます。「偉くない人」は偉い人の言いなりにならざるを得ません。何も言わなくたって「偉くない人」は空気読んでいろいろと立ち回ります。ちょうど小動物がそそくさと逃げまわるように。そこに人間の尊厳がありますか?と問いたい。
私も歳をとれば「偉い人」になるかも知れませんが、嫌ですね、そんなの。
偉いも偉くもない公正でフラットな世の中・社会がいいと思います。
まとめ
「偉い人」も恐いけど「空気」はもっと恐い! そんな文化のなかにいると自己主張できないものですが、もういい加減そんなのは終わりにしたいものです。
だけどこう言うとしたり顔で「秩序がどうたら」と言う人が出てきますが、法や時間の秩序より重要な秩序ってどこにあるのでしょう?
ただ現状維持したいだけの人・思考停止してる人が多い世の中ですが、考えるチカラがある人には頑張ってもらいたいです!もちろん私も、リアルでもネットでも頑張りたいと思います!
- 空気読めとか、いい加減やめてほしいぞ!
- 「近代を遂行した人」を讃える社会であってほしいぞ!
- 「法」より「人」の社会は恐ろしいぞ!
- 偉いとか偉くないとか、もうお腹いっぱいだぞ!
- 面倒事も多い「近代」だけど、最終的に人を幸せにする仕組みだと思うぞ!