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愚行権って素晴らしい! ひでぞう流・自由主義論 その1

今回は「ひでぞう流・自由主義論」と銘打って自由主義のここが凄い!ってお話しをします。

近代化論もそうですが自由主義論も奥が深く、その幅も非常に広いのです。

なので少しずつ「これは!」と思う概念を丁寧に紹介したいと思います。

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自由主義、その懐の深さ…

愚行権(ぐこうけん)…、これは読んで字のごとく「愚かなことを行う権利」のことです。

日常生活で何かバカなことをすると、ただちに「何やってんだよ!」と周りに怒られるのが常です。

しかし実は、私たちはバカなことをしても良いのです。
それどころかなんと! それが「権利」として全ての人々に保障されているのです!

そうです、自由主義を標榜する社会では、全ての人に愚行権が与えられているのです。

愚行権行使の実例

これは本当に色々な例があります。
奇抜な格好をして街を歩くのもそうですし、明日の朝、早起きしなければならないのにテレビを見て夜更かしするのもそうです。

健康に悪いと分かっているのに暴飲暴食をしたり、命に関わる危険地帯を冒険するのも愚行権の行使にあたります。

時に周りの人は一般常識的な観点から、あるいは危なさにハラハラしてその行為を止めようとします。

しかし最終的にどんな行為をするかは個人の自由であり、愚行権の行使を他人が止めるべきではないのです。

自己選択と自己責任

ただし誰にも迷惑を掛けないことが大前提です。また、他人に迷惑を掛けたり損害を与えた場合、言うまでもなく自己責任になります。

このように愚行を「自己選択」した瞬間に「自己責任」が発生します。

しかしそれは判断能力のある成人が、ある意志をもって自己決定したことなのです。なので他人がその決定に介入するのは傲慢でさえあります。

他人に迷惑や損害を与えない限りその愚行は容認されるべきなのです。

他人・世間にとっての愚行、本人にとっては…

ここまで愚行愚行権という言葉を使ってきましたが、あくまでそれは「他人から見た場合」であることに注意が必要です。

世間的に「愚行」でも、本人にとってはかけがえの無い行為かも知れませんから(…というか、そういう場合って多いですよね)。

たとえば会社を辞めてでも世界放浪の旅に出る若者がその好例です。

いわゆる「大人」から見れば、その行為はサラリーマン人生において著しく「損」なことは明白です。よってその若者の行為は「愚行」になります。なので一部の「大人」はその若者に愚行の中止を勧告します。

ある程度までは悪意なきお節介かも知れません。しかしこれがお節介を超えて本格的に介入しはじめ、その「愚行」を力づくで止めようとするならば、それはパターナリズムに他なりません。

当然、自由主義の観点からは有るまじき行為ということになります。

たとえ国家であっても…

このように、ある人が他人の行為に介入してそれを止める権利がないように、たとえそれが国家であっても同じであると考えるのが自由主義の精神です。

また、愚行権を容認することは日本国憲法第19条の「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」に通底するものがあります。

公権力であっても個人の思想や良心、そして社会に迷惑を掛けない個人の「愚行」に介入しない、…これが自由主義の懐の広さと崇高な精神性であると言えます。

まとめ

今回の自由主義論、いかがでした?

私は何としてもこの第1回目で「愚行権」を紹介したかったのです。

私がこの概念を知ったときの驚きと知的興奮は大変なものでした。
愚を行う権利で「愚行権」…ドキッとする言葉ですが、しかしこれほど端的に自由主義の本質を表現した言葉はなかなかありませんし大切にしなければならない権利のひとつだと思います。

  • 自由主義社会ではバカをやる権利まで「愚行権」として保証されているぞ!
  • たとえバカなことでも、危険なことでも、将来損することでも、本人が納得済の愚行は容認される社会であってほしいぞ!
  • 愚行には自己決定と自己責任がつきものだぞ!
  • 本人の自己決定と自己責任を蔑(ないがし)ろにするパターナリズムに私は反対の立場だぞ!
  • 国家の介入さえ制限する自由主義の精神性や叡智は素晴らしいぞ!

 

 

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