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戦争を風化させない為に 戦後70年の終戦記念日に平和を祈る
昨今、戦争体験者の高齢化による戦争体験風化の懸念が取り沙汰されています。
私は戦争体験者ではありませんが、戦争文学や各種ドキュメンタリーをたくさん見ているので戦争の恐ろしさを知っているつもりです。
それなのに今、戦争が忘れ去られようとしています。歴史は繰り返すと言いますが、そうならない為にも戦争についてお話ししておきます。
平和教育の効果
修学旅行と言えば平和教育というくらい私の地元の学校は戦争や平和に対する意識が強かった気がします。
中学では広島、高校では長崎で戦争について学びました。また、中学校の図書館にはだしのゲンが置いてあり、それを読んで恐怖したものです。
こういう教育のおかげで戦争体験者ではないのに戦争の恐ろしさをよく分かっていると思っています。
本当の戦争体験者には敵いませんが、それでも戦争は怖い、人間が人間らしく生きられなくなるから絶対に戦争はダメ、という気持ちがあります。
戦争のなにが恐ろしいのか!?
…私が考える戦争の恐ろしさ、それは人間同士の軋轢が最大化することです。
戦車や爆弾、戦闘機、空襲、原爆、飢えが恐ろしいのは当然ですが、それと同じかそれ以上に恐ろしいのが人間の悪意です。
また、悪意が無くても極限状態の人間が必死で生き延びようとすると、容赦無く他人を押し退けるようになります。
敵国ではなく近隣や世間、国家権力が個人に猛威を振るうのです。本来は穏やかだったり味方であるはずの存在が、その牙を剥くのです。
沖縄戦で軍部による集団自決強制の有無が争われていますが、沖縄戦に限らず、この手の強制はそこかしこであったと考えています。
今の平和な世の中でも会社での恫喝・パワハラ・空気読めと様々な圧力があるのです。それが戦争ともなれば国家は圧倒的な力で個人を抑圧することは想像に難くありません。国家も個人の理性も何もかもが狂ってしまう、それが戦争です。
戦争体験の風化?とんでもない! けれど…
…現実として戦争体験の風化が問題として存在します。しかし私にはそれが信じられません。
先述の修学旅行はもちろん、戦争映画や戦争と原爆を描いた漫画・はだしのゲンなどで戦争の悲惨さをよく知っています。戦争体験はありませんが、それらの作品で充分その恐ろしさを味わっているのです。
だから戦争の悲惨さは世代を超えて語り継がれていくものとばかり思っていましたが、長い歴史には勝てないのかも知れません。
少しずつ戦争を知らない世代や全く関心がない世代が増えることで新たな世論が生まれてきます。
戦争への道
先の大戦の場合、ある日いきなり戦争になったわけではありません。様々なところから戦争が忍び寄ってきました。国家の中枢部、新聞やラジオなどのメディア、そして国民の三者が様々な立場から煽ったり煽られたりしながら少しずつ戦争への道を歩みました。そして気が付いたときには後戻り出来なくなっていました。
そうなると誰にも止めることが出来ません。
一部の良識ある人々は反戦を叫びましたが、戦争には言論封鎖が付きものです。やがてその声も弾圧によってかき消されました。
先日、自民党議員が戦争に行かない人は自分中心、極端な利己的考えに基づくと言って物議を醸しましたが、これなど言語道断です。
戦争に行きたい人などいるでしょうか?
こういう発言が出てくると、今は戦争の「何合目」にいるのかと考えてしまいます。
こういう発言がネットやマスコミで叩かれているうちはまだ戦争から「遠い」ですが、賛同が増えてくると危険です。
もちろん自衛のための戦いは必要
ただ、日本がいくら平和主義を貫いても他国がそうだとは限りません。様々な脅威がひしめいているのが国際社会の現状と言わざるを得ないのです。
なので何が何でも戦うことは認めない、戦うくらいなら戦わずに死んだほうがマシとは言いません。当然、自衛の為の戦いは必要です。
しかしヘイトスピーチ問題にみられるように「自衛の為」を超えた好戦的・排他的で民族主義的な高揚を求める若者が増えている気がしてなりません。気のせいなら良いですが、そうでなければいずれ戦争になる可能性があります。
ところで「ひとりはみんなのために。みんなはひとりのために」、こんな言葉がありますが、日本では「ひとりはみんなのために」だけが強調・強制されるきらいがあります。
これが戦争になったらどうなるか。更にキツいことは目に見えています。勇ましいことを言っても戦争になれば様々な自由が抑圧され「個人」も無いことにされ「お国」というよく分からないものに全てを捧げることになります。個人の自由も家族も友達も夢も希望も、そんなものは取るに足らないものとされ、お国が好きだろうが嫌いだろうがお国に命を捧げることが強制されるのです。
戦争になったらキツいよ。
ひでぞうのまとめ
今回は戦争というひとつの記事では語り切れないテーマを取り上げてみました。
このテーマを語るには政治・経済・国際社会・思想など、ありとあらゆる物ごとに精通し、様々な分析をする必要がありますが、一個人としての気持ちをお話ししました。
まだ戦争は「遠い」と思いますが、ある日気が付くと「すぐそこ」に来ている、それが戦争です。
個人の存在はちっぽけで、戦争はその対極にある大きなうねりから生まれます。しかしそのうねりを構成しているのは他ならぬ個人です。先の大戦では庶民が戦争を歓迎したところがあるので、やはり折に触れて考えておくべきテーマだと思います。
戦後70年の終戦記念日に、平和への祈りを込めて。