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日本にはびこる「空気読め文化」についての考察 その3
前回では空気とは何かを詳細に検証した。
謎だらけで、かつ戦争のような極限状態でも空気に振り回される日本…。
まさに空気と呼ぶにふさわしく、掴みどころも無ければ対応策も無いかに見えるものだけど、今回はそんな空気読め文化に処方箋があるのかを考えてみたい。
世代間で「空気読め」の濃淡は異なるのか?
「空気」なんて気にした事もなく、そんな事はどこ吹く風で生きるように見える現代の若い女性。
良くも悪くも彼女たちは「空気読め文化」から自由ではないか?
そう考え一縷の望みを見出していた頃があった。
ところが女子高生の間から「KY」が出てきた。
この「KY」の意味を知った時ほど絶望した事はない。
悪しき「空気読め文化」が無くなるどころか、世代を超え何ごともなく継承されていたのだから。
日本人にとっての英雄像
そうやってどの世代も、男も女もお互い気を使いまくって消耗し、見えない空気と戦って疲れ果ててきた。
だから空気に屈しない人が主人公のドラマは高視聴率となる。半沢直樹がその好例。
しかし半沢直樹がアメリカで放送されたら高視聴率がとれただろうか?
自己主張が善であるアメリカ。
主義主張で突き進む人はそれほど珍しく無い。
だからこそ日本の文化的背景と精神的文脈を要所に盛り込んで、その中であれだけの主張が出来る事がいかに英雄的かをわかってもらわないと、ドラマとしての成功は難しいだろう。
臆病と嫉妬の先にあるもの
>「そんなこと全く気にならないよ」という幸せな人は例外だから放置。
…前回こう書いたど、これは自分の勇気の無さの裏返しだと気が付いた。
正直、腹の底では「そんなこと全く気にならないよ」と言える人が羨ましくて仕方がない。だけど自分は無理だと諦めて、でも心底諦め切れないから、その気持が「やっかみ」となって文章に出た。
世間ではむやみにやっかみを買わないために「自分は無能です」、「自分は人が羨むようなものを持っていません」って「控え目コミュニケーション」が誕生したんだと思う。
…「空気読め」の正体が少しずつ見えてきた。
まとめ
恥の文化、相手の非をはっきり指摘しないことが優しさになる文化、これが「空気読め文化」の根底にあると思う。
また、勇気のなさも「空気読め」に変化する。
ずるく「空気読め」と言うのは論外だけど、もし自分がそう言われたときは毅然と対処できるようにしておきたい。
そのためにはこの問題を日頃から意識的に考えておかねばならない。
「空気読め文化」は世代を超えて継承されてるけど、それが国外に広まる気配は無い。だから日本独自の病巣と言える。
それでも諦めずにこの問題を克服したい。
ひとりひとりが変わることで社会も変わるのだから。
今回はこれでおしまい。
だけど半年後・1年後・5年後あたりに再度書きたいテーマである。
その時までに、この問題に言及している他のサイトを見て回り、思考を深めておきたい。