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近代化の精神性!? ひでぞう流・近代化論 その5
ひでぞう流・近代化論も第5回を迎えました。
しかし最初に書くべき大前提を今頃になって書かなきゃと思い立った次第で、今更ですが今回は「近代」と「近代化」、そして「現代」の言葉の定義をお話しするところから始めたいと思います。
もくじ
「近代」と「近代化」、そして「現代」ってどう違うの!?
「近代」は、
近代(きんだい、英語:modernhistory)は、世界の歴史における時代区分の一つで、近世よりも後で、現代より
も前の時代を指す。近代/ウィキペディア
…とあります。
そしてこれが「近代化」になると、
近代化(きんだいか)とは、社会を近代的な状態に変えること。即ち、政治・経済が、国民国家と産業化を特徴とする形態に変えることである。近代化/ウィキペディア
…単なる時代のことではなくなります。
この引用だけでは不充分かも知れませんが、私がこれまで何度も取り上げている近代化、それは「全てをシステマチックに運用し、全てを説明・解明しようという仕組みと精神性」を引っくるめたものを指します。
また、現代というのは単に「今の時代」を指すだけなので、必ずしも近代化されているとは限りません。今現在の2015年でも呪術的・魔術的・恣意的・そして不合理なら「非近代的」ということになります。
近代化が好む精神性とは…!?
近代化は「ドライにシステマチックに」が合言葉です。しかしそんな性質の近代化が好む精神性=エートスがあります。
エートス[1]【ギリシャēthos】①〘哲〙性格・習性など,個人の持続的な特質。エトス。②社会集団・民族などを特徴づける気風・慣習。習俗。③芸術作品に含まれる道徳的・理性的な特性。気品。エートス(エトス)/Weblio辞書
…ある集団・組織・社会において、②がどこまで浸透しているか…。「ドライにシステマチックに」と相容れない精神論ですが、それを使う人のエートスが「なってない」と、どんな技術・システムも機能しません。だからこれは非常に重要なのです!
さて、ここで近代化の精神あふれる近代くんに登場してもらいましょう。近代くんが勤める会社には後輩のひでぞうくんがいます。
このひでぞうくんはとてもいい加減で「ま、いっかw」が口ぐせの困ったヤツです。
近代くんとひでぞうくん…。この対照的な先輩・後輩の2人を比較しながら近代化の精神について考えてみます。
規格化と標準化、失敗すらマニュアル化…!
とにかくなんでも規格化・標準化するのが近代くんの仕事の進め方です。そして近代くんはことのほか「規格外」や「突出」を嫌います。短期的にそれが良い影響をもたらすとしてもです。淡々とルールに従ってやりましょう、これが近代くんの仕事論であり精神性です。
いっぽう、ひでぞうくんはいい加減・場当たり的に仕事を進めます。規格化・標準化なんて知ったことじゃありません。毎回バラバラのやり方をするので失敗がほとんどですが、たまに成功することもあります。でも「仕事だから成功も失敗もあるよねw」と問題の本質に迫ろうとしません。
そしてその失敗をはた目で見た近代くんは、それらをマニュアル化します。失敗すらマニュアル化して次に備える。近代くん、ハンパ無いです。
「記憶」ではなく、「記録」を大切にする
もちろんネガティブな記録でもです。
近代くんは自分の失敗すら記録として残します。こうすることで次、同じ失敗をしなくて済むのです。
これ、当たり前のように見えますがそんなことはありません。なかなかできることではありません。
また、人間は同じ失敗を何度でも繰り返します。そんなに人間は賢くありません。だから「記憶ではなく記録」するのです。もちろんこれもみんなで共有します。
しかし失敗をオープンにできる組織はなかなかありませんよね。
失敗を隠したがるのは笑われるから・非難されるからですが、まずは「そうじゃないよ。失敗だって貴重な経験だからね」と言えるリーダーがいないとはじまりません。これもリーダーや組織のエートス=精神性ひとつにかかっているといえます。
全く知らない人でもわかるように…
近代くんは全てに説明を求めます。ものごとの根拠(=エビデンス)が欲しいのです。また「どうしてそうなるのか」の仕組みにこだわります。
いっぽう後輩のひでぞうくんは「できたからいいやw」です。だから「なぜそれができたのか?」の説明を求められると途端に窮します。
これはよく言われることですが「人に説明できないことは自分でも理解していない」…ひでぞうくんはまさにこの状態です。
なお、説明するときは、
- 「自明」がないことを前提に話す→説明を受ける人は何も知らないことを前提にする。
- どこにも属していないことを前提にする→ある社内・ある部署内だけで通じる言葉があれば、それを「翻訳」して伝える。
- 段階の「飛ばし」をしないようにする。
…が大切になります。
これは近代化の精神と同じではないでしょうか。
近代的な組織において「知る人ぞ知る文化」はダメなのです!
エビデンス・手順・手続き…、こういうことに価値を置くのです。
全てを疑い、検証する
これもエビデンスがらみの話です。明確に割り切れないものに対し、根拠を要求します。また、少しでも疑わしいことがあれば疑い尽くします。
一般的に「疑う」のは良いことではありません。しかし仕事や学問においては違います。仕事の場合は「リスクの洗い出し」になるし、学問の場合は「可能性の追求」になります。誰が憎いからじゃありません。全てを疑い、検証する。それも均等に。この姿勢が大切です。
なんでも確率論!ミラクル(奇跡)は求めず、むしろ嫌う
これ、結構重要だと思います。近代くんは偶然に頼らず必然を信奉します。そして偶然による「結果論」を何より嫌います。
だから「危ない橋だけど渡ってみるかw」でたまたま良い結果が出てドヤ顔のひでぞうくんに対して良い顔をしません。
たまたま偶然でうまく行った、こういう結果論を嫌うんですね。それが良い結果だったとしてもです。
だけどそんな近代くんだってリスクを取ることもあります。しかし事前にそのリスクがどの程度で、仮に失敗したときどうなるかを綿密にシュミレーションします。成功・失敗の確率を算出し、それに基づいて行動します。
この世から完全にリスクを排除することは不可能ですが、仕事をしないわけにはいきません。近代的な組織は全て確率論で動いています。
システム通りに行うことが重要…
あらかじめ決められたシステム通りにやって失敗しても個人の責任を問いません。なぜならそれは個人の問題ではなくシステムの問題だから。なのでシステムを作り直すことで対応します。
個人の責任を問うのではなく、あくまでシステムのブラッシュアップに努め、システムの出来・不出来にこだわります。
ある仕事でシステム通りやって失敗した近代くん。しかしそのシステムを作った上層部は近代くんの責任を問います。こういう理不尽、会社組織にはつきものですよね。
さて、それを見た後輩のひでぞうくんが飲みに誘います。2人で背中を丸めて飲みながら「センパイも大変っすねw」…ひでぞうくんは悪いヤツじゃないけど、多分なにもわかっちゃいない…、近代くんの酔いは回るのでした。
プロセスを大切にしろ!そして再現性はあるのか…!?
誰がやってもその通りになるのか?これが大切です。
ある仕事でひでぞうくんがたまたま大成功した。でも近代くんは手放しに評価しません。それを「仕組み」や「システム」にできないかと考えます。マニュアル化して再現性をもたせる、…これが近代くんが大事だと考える仕事の進めかたです。
なので「あうんの呼吸」も嫌いだし、再現できないやり方も嫌いです。結果論バンザイなひでぞうくんに対して、近代くんはことのほかプロセスを重視するのです。
極論を言えば失敗してもいい。だけどその失敗は活かしたい。失敗のなかから成功法則を見つけようとするのです。もちろん言うまでもなく結果は大切。だけど良い結果「だけ」を追い求めない。良い結果も悪い結果も、その「理由」を探して仕組み化することが本当の仕事だと考える。これが近代くんの仕事論です。
組織を重視する
「個人プレイ」「組織プレイ」という言葉がありますが、近代くんは組織プレイを心がけます。うまくいった仕事は組織で共有すべく、マニュアル化してオープンにします。近代くんは個人のなか「だけ」にノウハウが蓄積されても仕方がないと考えるのです。知識・経験は組織で共有してナンボです。
また、「1人の英傑より1000人の歩兵」という考えかたが好きです。もちろん「1人の英傑」も大切ですが、引退したら終わりですからね。
なので1000人の歩兵=普通の人でも戦えるように組織化・仕組み化しておくのです!
機械化・自動化を好む
機械化・自動化できることはそうします。そのために普段から手順化・マニュアル化しているのです。近代くんは手順化・マニュアル化にこだわってきたので機械化・自動化しようと思ったとき、素早く対応できます。いっぽう、ひでぞうくんはなにも控えていません。せいぜい散り散りになったメモがあるぐらいです。
また、機械化・自動化に対する考えかたも両者では天地の開きがあります。ひでぞうくんは面倒臭がって機械化・自動化をしませんが、近代くんは少しでも機械化・自動化できることがあればさっさとそうします。長い目で見ると近代くんがラクできる結果になりますからね。おまけに確実です。冒頭でお話しした通り、エートス=精神性って大事ですよね。
まとめ
…このまとめを書いているひでぞうは「ひでぞうくん」と全くの別人物です。
それはさておき、結果論・再現性がないもの・仕組み化していないものを嫌う…、他にもたくさんありますが、今回は近代化の精神・その主な特徴を思い付くままお話ししました。
なお、仕事論=近代化論になるのは、現代企業の目指すところが近代化=合理化=効率化だからです。一見、不合理な仕組みに見えても大局的・長期的には合理性があるのです(…そう思えば仕事の不条理もいくらかマシになるというもの)。
次回は近代くんとひでぞうくんからいったん離れて、もう少し大きな視点で近代化の是非をお話ししたいと思います。